映画体験

先日遅ればせながら、アメリカでも評判になった日本映画『ゴジラ-1.0』を観てきました。ゴジラの神々しいほどの迫力に感嘆する一方で、一部俳優陣の演技力に物足りなさを感じたのは、個人的感想としておきます。

ハリウッドが制作したものも含めゴジラ映画は数多くありますが、「ゴジラ」を見るにつけ聞くにつけ思い出すのは、幼少の頃に映画館で観た『ゴジラ対メカゴジラ』です。確か私(田中)が5歳になるかならないかの時だったと思います。祖父に連れられ、私と一つ下の妹、従弟と4人で映画館に足を運んだと記憶しています。

私の生まれ故郷は、今では人口3万人を切る小さな町ですが、当時は映画館が3つほどありました。孫好きで面倒見がよく、本人も怪獣や恐竜が好きだった祖父は、家から一番近くの映画館に私たち小さな子供3人を引き連れていきました。映画館正面のガラス扉を開けた手前右の受付で祖父がチケットを買い、私たちは2階のスクリーンへと向かいました。クッションのような装飾が全面に施された大きな扉を開け、独特の燻るような匂いを嗅ぎながら(今にして思えばタバコの匂いなのでしょう)、薄暗がりのなか粗くて埃っぽいコンクリート床を歩き、座面が妙に膨らんだ椅子に腰を下ろします。魅惑の怪獣映画のうえに、おそらく私にとっては初めての映画館だったので、まるで異世界に踏み入ったようなワクワク感があったのを覚えています。いくつかの番宣が終わり、いよいよ本編が始まりました。初めのカットは大都会、おそらく東京だったと思います。柔らかめのBGMが流れだして電車の中に場面が切り替わり、乗降口付近に立つ大人のお姉さんがクローズアップされ、お姉さんは少しアンニュイな雰囲気で車窓から景色を眺めています。

映画は静かな立ち上がりです。

BGMが流れるあいだカメラは時折アングルを変えてそのお姉さんを画面に収めつつ、BGMが終わったところでお姉さんは電車を降ります。

まだゴジラが暴れだす気配はありません。

お姉さんは駅舎から出たところでタバコに火を点け、咥えタバコで住宅街を歩き、やがて大きなマンションの玄関に消えていきます。ここまでは街の営みの音だけで、一切の言葉はありません。典型的な日常の風景が描写されます。

どのタイミングで怪獣が現れてこの退屈な日常描写をぶっ壊しにかかるのだろう、とますます期待に胸が膨らみます。

お姉さんが玄関に消えたあと、カメラはマンション内の一室に切り替わります。玄関のドアを開けて室内に現れたお姉さんは、ハイヒールを脱ぎ、部屋の中央へと進みます。

映画が始まってからすでにかなりの時間が経過しているのに、ゴジラどころかゴジラの敵となるほうの不穏な動きすら感じられません。きっといきなりこのマンションがゴジラに踏み潰されて、お姉さんが大変なことになってしまうんだろう、と私はドキドキしながら目が釘付けになりました。

部屋の中央に立ったお姉さんは姿見を前にして、物憂げなため息をつきながら上着を脱ぎ、ブラウスを脱ぎ、スカートを脱ぎ、下着を脱いでいきます・・・

私が〈お姉さんはもういいから、早くゴジラを出してよ! メカゴジラはいつ出てくるの! どこまでじらすんだよ!〉と心の中で叫んだ瞬間、隣に座っていた祖父が、

「間違えたな」

そうなのです。R指定などの無かった昔、田舎の映画館では普通の映画も成人向け映画(いわゆるポルノ映画)もいっしょくたで上映していたのです。

〈ちぇっ、もうゴジラ始まってたんじゃん〉との不平を胸に(今なら不平を唱えることはないですが)、私たちは祖父に手を引かれ階下のスクリーンに移ったのでした。

私の初めての映画館体験と成人向け映画鑑賞は図らずも同時になってしまいましたが、祖父がわざと間違えたのかどうかは、私があの世に行くまでわからないままになっています。

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