新年あけましておめでとうございます。令和7年、西暦2025年がいよいよ始まりました。昨年は能登半島地震と日航機海保機衝突事故から始まった一年でしたが、今年はどのような年になるでしょうか。
年末年始は自宅でゆっくり過ごした方、旅行に出かけた方、ふるさとに帰省した方、もしくはお仕事をしていたという方もいらっしゃるかもしれません。私(田中)は久方ぶりにふるさとの実家で新年を迎えました。実家で年越しをするといつも思い出すことがあります。
私がまだ大学生だった頃、三十数年前の正月松の内、宵のことです。例年のように実家に戻り茶の間に寝転がってチャンネルをザッピングしながら正月番組を見ておりました。と、そこへ消防車のサイレンが聞こえてきました。やがて消防署のスピーカーからもけたたましい音が鳴り響きます。当時、私の故郷のような小さな町では、大きな火事があると消防署の巨大スピーカーからもサイレンが鳴らされました。幾重にも重なる消防車のサイレンに〈これはでかいぞ〉と思った私はすぐさま外に飛び出しました。南の空、実家からさほど遠くない方角が朱色に染まっています。どこにチャンネルを回しても似たような正月番組しかやってないテレビに飽きてしまっていた私は、赤くなった南の空を目指して走りました。
現場に近づくにつれ人の群れが膨らんでいきます。角を曲がってひらけた瞬間、業火に包まれる一軒家が視界に飛び込んできました。距離はまだ100m以上ありましたが、真冬であることを忘れさせるほどの熱が私の顔を射てきます。被災している家の前にはすでに人だかりができていました。消防は懸命の消火活動をしていましたが、空気が乾燥し風も強かったためなかなか火勢が衰えません。場所は住宅地なので、隣接している家にも飛び火するのは時間の問題でした。
「ああ、お父さん、火が移るよ。うちも燃えちゃうよぉ」
人だかりの最前列のほうからそんな声が聞こえました。見ると、着の身着のままで飛び出してきたとみられる隣接家の家族らしき人たちがいて、小学生くらいの男の子が父親らしき人の袖をギュッと掴んでいます。燃えている家の家族の方たちもその近くにいて、申し訳なさそうに消火活動を見ております。
出火の原因がなんだったのかはわかりませんが、その場の雰囲気から察するに家の中に取り残されている人はいなさそうでした(死傷者がなかったことは後日の新聞にも出ていました)。
〈死人もケガ人もいないのは不幸中の幸いだ〉
野次馬がだらだらと取り巻いているのも不謹慎だと思った私は、そろそろ帰ろうかと踵を返しかけました。すると背後から、
「おう、田中、帰ってきてたのか」と声をかけられました。
振り向くとそこに高校時代の同級生がおりました。
「おお、お久しぶり!」
そして二人声をそろえて、
「新年あけましておめでとう!」
被災家族の視線がいっせいにこちらへ・・・。
私と友人は旧交を温めることなく、蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去りました・・・。