先週の1月22日、皇居宮殿「松の間」において新年恒例の歌会始の儀が執り行われ、「夢」という題で皇族の方々及び入選された一般の方々の短歌が詠まれました。ちなみに、もともと和歌の一形式の短歌ではありますが、現在では「和歌といえば短歌」という認識になっており、その成立は奈良時代まで遡るようです。その披露された短歌のうち、はなはだ僭越ではありますが、個人的に印象に残った6首をご紹介したいと思います。
雅子皇后「三十年へて君と訪ひたる英国の学び舎に思ふかの日々の夢」
〈青春時代の楽しかった思い出に郷愁と哀愁が入り混じり心に染み入ります〉
愛子内親王「我が友とふたたび会はむその日まで追ひかけてゆくそれぞれの夢」/秋篠宮佳子内親王「キャンバスに夢中になりて描きゐしかの日のことはなほあざやかに」
〈ちょっとした甘酸っぱさを感じさせる若者らしい回想と未来への希望とが滲み出て、青年皇族の爽やかな姿を連想します〉
埼玉県 川崎ななせさん(31)「カーテンをあなたがあけて文鳥とわたしが同時に夢からさめる」
〈やわらかな幸福感を孕んだ日常の何気ないひと時を絶妙に切り取っています〉
岡山県 西江涼帆さん(27)「大丈夫あなたが夢を追ふあひだ私はずつと追ひ風である」
〈内に秘めた力強さがジンと胸に迫る詠いぶりです〉
宮崎県 森山文結さん(16)「ペンだこにうすく墨汁染み込ませ掠れた夢といふ字を見てる」
〈わずか31音の中に思春期の現状や未来に対する期待・焦燥・不安が表現されています〉
私(田中)好みの歌は図らずもみな女性の作でしたが、太古の昔から多くの秀でた女性歌人がいたことはご存じのとおりです。我が国最初の勅撰和歌集であり、その後の国風文化にも多大な影響を与えた『古今和歌集』にも、小野小町をはじめとする多くの女性歌人の和歌が収録されています。『古今和歌集』編者の紀貫之は「男もすなる日記といふものを 女もしてみむとてするなり」と謳って仮名で『土佐日記』を綴りました。なぜ女性に仮託してまで仮名文字の日記を書いたかには諸説あるようですが、いずれにせよ、古くから仮名文字を駆使して女性が生き生きと日記を書いたり和歌を詠んだりしていた姿が想像できます。
さて、その紀貫之は『古今和歌集』の仮名序の中でこんなことを言っています。
「力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女の仲をも和らげ 猛き武士の心をも慰むるは 歌なり」
貫之ら古の人たちは、言葉の力をよく理解していました。彼らの生きた時代に比べると、現代を生きる我々は言葉の洪水の中にいると言っても過言ではありません。時として私たちはこの奔流に押し流されそうになります。そうならないためにも、言葉の持つ力を理解しようとすることが大事だと思うのです(「差別」と言語の功罪 | 株式会社アリヤス設計コンサルタント)。

