弊社のホームページが刷新され、ブログも新しく開始されることとなりました。どのような色合いのブログにしようか、いろいろと頭の中で模索しましたが、まず始めてみないことには何事も前に進んでいきませんので、はなはだ僭越ではありますが、わたくし田中の思い出ばなしからスタートしたいと思います。今後このようなゆるい投稿ばかりにならないか不安なところではありますが。
前段として、今から十数年前、私は沖縄県竹富島というところで水牛車の観光ガイドをしておりました。北海道生まれの私が竹富島に移住したのには少し込み入った事情があるのですが、ここでは割愛させていただきます。
近年では北海道の夏も蒸し暑い日が多くなり、こういう日が続くと、島で過ごした日々や出会った人たちのことをよく思い出したりします。
で、突然なのですが、私は隠れ山口智子ファンです(隠れてはいませんが)。ファンになったきっかけはこの竹富島生活時代にさかのぼります。
私が竹富島に移住してまだ日も浅い頃、水牛車の受付カウンターの前を山口智子さんそっくりの人が通りかかりました。
「つか、あれ、めっちゃ山口智子じゃん」
水牛車観光会社職員何人かでそんな会話をしていると、山口さんは気さくに同僚の一人に話しかけ、島の様子をいろいろと聞いたりしていました。
〈はぁ、凛とした感じの綺麗な人だなぁ〉
そのときの山口さんの格好は、淡い水色のロングスカートに、白い薄手のブラウスだったと思います。12月下旬の薄曇りのこの日は、年間平均気温24℃の竹富島も全体に冬の装いでした。
竹富島は、沖縄の伝統的家屋を集落の形で残している数少ない場所であるため「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。ですので、撮影やらなんやらと、いろんな有名人がひっきりなしに訪れます。私が島で生活したのはわずか3年弱ですが、それでもかなりの数の有名人を目にしました。
会話した同僚の話によると、山口さんもやはりテレビ番組の撮影で来島しており、収録までのあいだ初めての竹富島を散策していたとのことでした。私の3年の島生活の中では、そんな普通っぽい、それでいて女優のオーラが隠しきれていない山口智子さんが、すごく印象に残っています。
この日の夜、当時の私の唄三線の大先生が竹富島に宴会しにくることになっていました。先生から事前に「おまえも賑やかしに来い」と言われていたので、夜7時頃、のこのこと宴会場所の旅館に行きました。するとそこに、山口智子さんはじめ撮影スタッフが同席しているではありませんか。なんのことはない、山口さんのテレビ番組というのは沖縄の音楽を特集したBSの番組で、大先生はその撮影に呼ばれていたのでした。
撮影日程は二日間。初日のその日は沖縄の宴会シーンの収録です。大きなテーブルを囲んで島の人たち十数人と車座になります。で、宴会が始まる前、風邪で声をつぶしていた大先生が僕を山口さんに紹介しました。
「喉の調子が悪いもんだからさ、今日はうちの弟子に賑やかしに来てもらったよ」
「よろしく~」グレーのストレートタイプのジャージを履いたラフな格好の山口さんは、夏休みのラジオ体操で6年生のお姉さんが低学年の男の子に挨拶をくれる時のような、ごく自然な笑顔で言いました。
「こいつはね、今は竹富に住んでるけど、もともとは北海道なの」
「へぇ~、北海道なの? ここから一番遠いじゃない。どうしてそんな遠くから来たの?」
まさか大女優さんにそんなことを訊かれるとは思ってもいなかったので、対応に窮し、
「まぁ、いろいろありまして」
「いろいろって何?」
いや、だから、いろいろはいろいろなので、
「話すと長くなりますから、機会があったらのちほど…」と、機会がないのを予想してその場を切り抜けました。
さて、宴会シーンの撮影もひととおり終わり、翌日メインの撮影を控えていた大先生は、風邪で傷めた喉を休めるためひとり部屋に引き上げていきました。しかし、お酒の入った健康な人たちが、撮影が終わったからといって宴会をやめるわけがありません。山口さんもすっかりノリノリです。と、そこへ、テレビ局のADさん【もしくは山口さんのお付きっぽい女性の方】が私に近づいてきて耳元で言いました。
「田中さん、すいません、明日の撮影があるということで先生はお休みになっておられるわけですから、あまりここで騒いでいると、先生、眠れないと思うんです。明日のコンディションにも影響が出ちゃいますんで、宴会をここらへんで切り上げるか、またはほかの場所に移動できないですか?」
えっ? なんで俺に相談するんですか? 俺まだ島に来て数か月だし、ただ賑やかしで呼ばれただけだし、そういうのは撮影を仕切っている人が山口さんや地元の人たちと相談するものなんじゃないでしょうか? などと思いつつ、
「はぁ、まぁ、そうですよねぇ」と、頭を寄せあい適当に相槌を打っていたら、
「そこっ! 何話してるのっ!」
声のしたほうを見ると、山口さんが、密談する私たちに向かって長く綺麗な指をさしています。
「わたし、そうやってこそこそ話しするのキライ。言いたいことあったらはっきり言って」
そりゃ、そうですよ、私もそう思います。山口さんがMCの番組なんですから。ほら、ちょうどよかったじゃないですか、山口さんに直接相談すれば、ADさん【もしくは山口さんのお付きっぽい女性の方】の心配も一発解決ですよ。しかも大した問題じゃありません、常識的な相談です。さぁ、どうぞ、私に耳打ちしたことを山口さんに話してください。
「えぇぇと、そのぉ……………………………………」
って、話さんのかぁぁぁぁぁい‼
どうしたものか、ADさん【もしくは山口さんのお付きっぽい女性の方】は口をつぐんで下を向いてしまいました。
「山口さん、すいません、明日の撮影のために先生がもう上で寝てらっしゃるので、下でドンチャン騒ぎするのもどうかと思いますから、宴会続けるならどこかに場所変えませんか?」
どうして俺が説明してるんだろうと思いつつ、ADさん【もしくは山口さんのお付きっぽい女性の方】の具申を代弁すると、
「うん、そうね。先生お休みになってるもんね。近くにこの時間でもお酒飲めるところあるかな?」と、山口さんはことのほか物分かりがよく、ディレクターっぽい人に二次会の手配をお願いしていました。ADさん【もしくは山口さんのお付きっぽい女性の方】が何故あれほど委縮したのか、今でもわかりません。
というわけで、山口さんはじめ撮影スタッフと我々宴会組は、その旅館の近く(といっても島内はどこも近いのですが)にある民芸居酒屋に行き、日付が変わるまで飲んで歌って踊ったのでした。
翌日の撮影に備えて途中退席した山口さんを見送ったのち、最後まで居座った我々が支払しようとすると、ディレクターの方が、
「山口さんが全部お支払いしてくれたので」と言います。
ディレクターの方と旅館までの道すがら並んで歩きながら、
「山口さんにお礼言っておいてください」と言うと、
「田中さん、明日、先生が島を離れる前にご挨拶に行くと言ってたじゃないですか。もしタイミングが合えば撮影場所に来てください。そこに山口さんもいますので、直接山口さんにお礼言ったらいいですよ」
翌日の収録は国指定の重要文化財『与那国家住宅』で行われました。
大先生と山口智子さんが二人で縁に座り、大先生が八重山民謡『とぅばらーま』を歌い上げるというシーンです。
私は仕事の合間を見て自転車で与那国家に向かいました。
薄曇りだった前日とは打って変わって太陽が青空に張りつき、陽光を受けたブーゲンビリアやハイビスカスが白砂と石垣に囲まれた道を夏のように彩ります。肌に心地よい風の中を抜けながら、不思議と、12月下旬の凍てつく北海道とそんな夜の家路を何度も思い出しました。
ご挨拶したのはほんのわずかな時間でした。
「先生、お声をかけてくださってありがとうございました」
「ああ、体に気をつけてな」
「山口さん、昨夜はご馳走さまでした」
「うん、いいの、いいの。元気でね」
自転車にまたがり敷地を出て、琉球石灰岩のごつごつとした石垣越しにお二人の姿を顧みると、山口さんがこちらを見ています。
私がペコっと頭を下げたら、あの笑顔で手を振ってくれました。
たったこれだけのことです。きっと山口さんは覚えてらっしゃらないでしょうが、【いろいろあって】北海道から流れていった私にとっては、二度と会うことのない女優さんとの、ひと夏のような冬の日の想い出です。
